江戸時代の町並み、竹藤の模型

竹藤は江戸時代、東北一の繁華街だった、会津の城下一之町に当時のままの姿で残されています。
福島県立博物館にも『城下のにぎわい』 という模型があり、そこに竹藤があります。
県立博物館にある江戸時代の一之町の模型に竹藤があります

一之町角に札の辻があり、会津五街道交通と商業の中心地として、両角に商人司簗田家、検断倉田家、馬場通りには検断坂内家を配し問屋豪商が一之町通りに軒を連ねていた。一之町には大町口、馬場口、甲賀町口の3つの郭門があり、武士町人が行き交う城下一番の繁華街であった。
氏郷公が郷里日野から近江商人を招き「楽市楽座」(楽売楽買の自由市場)を興したのが一之町であり、会津商人はここに店を張るのが夢であった。
【県立博物館の一之町の模型】
竹藤の模型があります
県立博物館の会館前にこの模型を作るに為に、専門家が寸法を図りに来ました。
江戸時代、会津の町屋では、寸法が決められていたそうです。2階建ての場合はこの高さに決まっていて、竹藤の寸法を計ったことで、この一之町の模型を作ることができたようです。
江戸時代、一之町は商人、武士が行き交う会津一番の繁華街。
2階の簾は、上から武士など、身分の高い方を見下ろしたりできないように必ずつけなければいけなかったそうです。
竹藤には、今でも簾がついています。
ちなみに、竹藤の模型の前に薬屋と書いてありますが💦父が寸法を計りに来た方に「薬屋の看板が出てきたから、薬屋やっていたこともあるらしい」
と、言ったから薬屋と書かれたのだそうで、古文書を読んだら一之町に来る前からずっと、竹問屋をやっていたことがわかりました。
この時代は、他の商売でも薬を売っていることもあったようです
【県立博物館の一之町の模型】大町四ツ角には、火の見櫓、高札場がありました
この櫓の前が簗田家(商人司)だったはずだけど、模型では、ちょっと違うような…
今の郵便局隣に昭和の終わり頃まで風間竹問屋さんもあったのにそれもないです。
今作ったら、もっと再現できそうな気がします。
【県立博物館の一之町の模型】
大町四ツ角から見た一之町
【会津古今旅帳のアプリより】

火の見櫓の位置もこのアプリの写真でわかります。
この古文書と幕末のころの覚書が残されてきて、竹藤の歴史が書かれていました
右側は、1807年の竹問屋株人別帳。
この前から竹問屋としてやっていたそうです

会津藩領内の商売は、商人司の簗田家の承認必要でした。
竹問屋株人別帳は、株仲間が集まり作った竹問屋の掟(定め)を簗田家に提出したもの。残されていたのは、そのときの写し(同じものを記録として書き残しておいたもの)です。

竹藤・たけとう茶屋

天保12年(1841年) 会津最古の商業建築『竹藤』  城下町会津で江戸時代、武士町人が行き交う一番繁華街であった、一之町(現在中央一丁目)  会津唐人凧、竹細工、民芸を扱うお店です。  作家さんの出店コーナーもあります。  竹問屋時代のままの会津唯一の町家づくりで茶屋(カフェ)は、商家の歴史史料館としてもお楽しみいただける元お菓子教室講師が作る、こだわりスィーツが人気のお店です。

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