会津唐人凧の店

福島県伝統工芸品

福島県の伝統工芸品に指定されている竹藤の会津唐人凧(あいづとうじんだこ)は、会津地方を代表する民芸品、お土産品として広く愛されている商品です。

その知名度は高く、これまで数多くのメディアで取り上げられてきた実績があり、特にNHK大河ドラマ『八重の桜』では実際に使用されたことでも知られています。

この唐人凧は、単なる装飾品としてだけでなく、江戸時代から長きにわたり、人々の生活の中で魔除けや運気上昇といった願いを託す守り神としても大切にされてきた、歴史と文化が詰まった工芸品です。

天を翔ける、会津の魂 ― 会津唐人凧ものがたり ―

Ⅰ. 【歴史】 戦乱の空に舞った「会津魂」
🌪️ 幕末・戊辰戦争と唐人凧の謎

物語は、江戸の終わり、戦乱の影が色濃く吹きすさぶ会津の空から始まります。

戊辰戦争のさなか、会津の空を覆う煙の下で、少年たちが勇敢にもこの唐人凧を揚げたという逸話が残されています。

「まだ、会津には余裕がある!」

その凧の舞は、籠城する兵を励まし、敵に「気力健在」を示す合図にもなったと伝わります。

唐人凧は、まさに空に舞う“会津魂”そのものでした。


🚢 長崎からの風

この唐人凧は、海を越えて長崎に渡り、やがて不思議な縁で、この雪国・会津へとたどり着いたといわれています。長崎の「バラモン凧」に似たその姿。

蒲生氏郷が南蛮文化を取り入れた時か。

長崎の商人が薬種とともに持ち込んだのか。

なぜ、はるか九州からこの地へ伝わったのか――それは今も謎に包まれています。真相は、風のみぞ知るロマンです。


Ⅱ. 【復元】 伝統の継承と運命の版木
💡 十四代目の再出発

時は流れ、昭和。竹の需要が薄れ、町の風景が変わりゆく中、昭和47年に十四代目・鈴木英夫は、古き町屋を活かし竹細工・民芸品の店**「竹藤」**として再出発しました。

会津復古会の「一店一品運動」をきっかけに、英夫は竹割りの技を生かして、当時会津から姿を消していた唐人凧づくりに挑みます。

🌟 運命の導き

運命に導かれるように――一箕町・法華寺で、明治期の唐人凧の版木が発見されます。

会津唐人凧研究家・平山常夫氏の協力を得て、英夫は版木を基に試作に試作を重ねました。

そしてついに、竹藤の看板商品となる**「べろくん出し(愛称)」と「会津波(旭日海波)」**が完成を見ることになります。


Ⅲ. 【偉業】 世界の空へ、会津の誇りを乗せて
🗻 ギネスブックに刻まれた魂

昭和52年。会津唐人凧は、日本の伝統工芸品として初めて世界最高峰の舞台に立ちました。

世界第2位の高峰・K2遠征隊がその頂を目指したとき、会津唐人凧が、山頂直下7,920メートルの空で揚げられたのです。

この凧の骨組みを担当したのが、十四代目・鈴木英夫。

軽く、強く、そして美しく仕上げられたその凧は風を掴み、高所凧揚げの新記録としてギネスブックにも名を刻みました。

まさに、会津の誇りが世界の空へ翔けた瞬間でした。


Ⅳ. 【現在】 守り神としての未来へ

🪁 会津唐人凧に託す四百年の想い

かつて日本中に名を馳せた会津唐人凧を、竹藤は四百年の歴史とともに守り続けています。

時代の賑わいが落ち着いた今、私たちの願いは、唐人凧を単なる工芸品としてだけでなく、**「人を護るお守り」**として、皆さまの日常に届けることです。

空を舞う風のように、幸せと願いを運ぶ小さな存在として、より多くの人々に手に取っていただきたい。

唐人凧とともに、この地に生きた人々の心と会津の歴史を語り継ぎ、後継ぎのいない竹藤を「会津の魂を伝える名所」として残すことができたとき、唐人凧が真の守り神となると信じています。


会津唐人凧と竹藤を残すためにどうぞ、皆様のご協力をお願いします


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